阪神大震災から25年
1995年1月17日
その年の2年前1993年のフレンチオープンジュニアで当時12歳のマルチナ・ヒンギス選手が史上最年少で18歳以下の世界1に輝いた。
私は彼女の一つ年下。同じ神奈川県下に全国チャンピオンがいたから県1番になることができず
モチベーションとしてフレンチオープンのタイトルを掲げたヒンギスの耳に光るピアスがかっこいいと思ったので、親に全国優勝したらピアスを開けさせてください!とお願いした。
親も県でナンバー1になっていないからそんな簡単に届かんやろーと思ったかは定かでは無いけれど許してくれて、私はとにかく必死にそのライバルを倒す為に学校前の朝練を課して必死に取り組んだ。
自分の弱さに打ち勝ち関東大会代表を決める戦いでライバルに激戦の後打ち克ち、全国も制した
そして私は世界大会代表に選ばれだしヒンギスを遠くの目標とし
当時世界で日本人初のグランドスラムベスト4入りし活躍する伊達公子選手のヨネックスウェアを纏って戦ってるテニスのポスターを部屋の壁に貼り同じ構えを練習した。
そんな日々を過ごしている時に
阪神大震災が起きた。日本のナンバー2として活躍していた沢松奈生子選手の故郷が大変な震災に襲われた。
そんな最中、沢松奈生子さんは思いを胸に大躍進し
ご自身の最高の全豪オープンベスト8進出を果たした。
その沢松奈生子さんが私の20歳の全日本選手権初優勝の解説をしてくださった。
今回のオーストラリア森林火災チャリティイベント企画に当たり真っ先に沢松奈生子さんに連絡させていただいた。
直ぐお返事が返ってきて
あの時サポートしてくれたオーストラリアにお返しができるのは嬉しい!と私にできることがあれば何でも言って!とご賛同くださいました。
人は人との繋がりで生きている
私は生かされていると
今イベントを企画させていただく中で
改めて感謝いっぱいです
多くの方々にサポートいただくからこそ
大切にオーストラリアにそして同じ思いの日本の皆さんの思いにお応えするために努めます
阪神大震災被害者の方々
東日本大震災の被害者の方々
オーストラリア森林火災被害者
そして世界中で起きてる争いや
災害の犠牲となった方々、志し半ばで命を絶たれてしまった世界の皆様のご冥福をお祈りしますと共に生かされてる人々が手を取り合い
声を掛け合いより良い世界にしていけるように
命を燃やして生きたいと思います。
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